自分を“高慢ちきな蛙”と言える人物に対してなら
ワインの悪い点があったら言って構わないだろう…
という気になっていた。
飲み飽きすると思えば、そう言えば良いし
味のバランスが悪いと感じれば、
忌憚なく伝えれば良い。
蔵元の本人を目の前にして、こんな気持ちになっている事は
普通はあり得ない。
やはり、造り手を目の前にしたら
普通は遠慮している。
そしてワインを造った努力に報いたい…と思ってしまう事で、
悪い部分が伝えられなかったり、
オブラートに包んだような言葉を使ってしまう。
しかし彼に対しては言っても構わないような気になっていた。
いや、彼がそれを求めているように感じられた。
既に彼の術中に陥っているに違いない。
これから食べようとする料理は和食、
しかも地元素材を地元の人間が味利きするのだ。
合わせるワインを問う時、
これほど確かな味利き役はいないだろう。
しかもその本心を引き出せるステージを
創り上げているのだ。
遠慮のない、本当の感想。
彼が求めているのはきっとそれに違いない。
横柄な蛙?
いや違う。
彼こそはワインの味をハイレベルまでチューニングできる人物、
それはスタイルこそ違うが、ワインを愛する者の姿。
ル・ニ・ド・マ [2004]
カリニャン ヴィエイユ・ヴィーニュ
ドメーヌ・ポール・マス
批評はすべて聞き、答えはワインに語らせるのだろう。
そんな高みへと向かう連鎖の中にあるワイン、
グラスに注いだだけでワクワクしてしまったのは
私だけではなかった。