1855年ボルドー地方・メドック格付
ワインと言えばフランス…、
フランスと言えばボルドー…
と言われることも多い中、
ワイン好きなら知っておきたいお話を少々。
今を遡ること約150年、
日本は江戸時代末期でペリー来航により、
尊皇だ!攘夷だ!という叫びが巷に溢れていた1855年。
花の都パリで万国博覧会が開かれるのを機に、
フランスの文化の最たるものである
ボルドーワインを格付け(*195)することになった。
この時、あまたのワインの中から、
ごく頂点部分にあるものが、5ランクに分けられた。
そして、このランクを不変とした。
不作の不運・豊作の恩恵がそれぞれの身に降りかかり、
実際の内容が逆転しても、
また、どんなに努力を重ねても、
以後、2級は1級より上と称されることはなくなった。
同じように葡萄を育て、醸造をして、
ワインを生産しているライバルよりも下に置かれる。
また逆に上に立つことになる…、
その御墨付きを与えるのだから、
シャトー達が心中穏やかなはずもない。
自由と平等の国、最も個を尊重する国と認識されるフランスでも、
かつては王侯貴族が存在した。
華やかな文化を花開かせ、
ワインを表舞台に運んだのは間違いなく彼ら。
ワイン自体の品質向上も、彼らなくしてはあり得なかっただろう。
王を頂点とする「偉さ」(努力や実力とは関係ない)を、
有無を言わさずランク付けすることによって成り立っていた王侯貴族にとって、
ランキングにワインを当てはめるのは、
体質としてマッチしていたのかも知れない。
~の王とか、王の中の王‥などと言う表現を今の我々でも使うが、
民主主義の中で王は存在しない。
しかしそんな思想的な事だけを追求していたら、
現在のボルドー・ワイン、特にメドック・ワインの隆盛はなかっただろう。
そんな中でも、民主主義らしき部分も貫かれている。
「Grand Vin de Bourdeaux」(=ボルドーの偉大なワイン)という表示は、
どのシャトーでも許されるのだ。
格付け第一級のシャトー・ラトゥールも、路地裏の小さな無名シャトーでも。
これは間違いなく民主的であり、平等な部分だ。
しかしワインに馴れてない人にとっては、
この「グラン・ヴァン・ド・ボルドー」という表示が、
混乱の原因になってしまう。
シャトー・ラトゥールに表記されていたこの言葉を信じて、
無名の路地裏のシャトーワインに大いなる期待を持って、
法外な値段で買わされた‥という事も多いようだ。
1855年に行われた格付けの目的は、
シャトーの為でも、ワイン業界の為でもなく、
何より世界中のワイン愛飲家の為の指標を提供することだと考えた時、
この蛮勇が正しかった気がする。
消費者にとって、格付けされていれば極めて分かり易いだろうから。
私見ながら、ドイツ・ワインがもしこのような格付けを行っていれば、
今の数倍は売れたかもしれない。
販売側はアピールし易いし、買う側も分かり易い。
しかし、ドイツ人は自らを階級付けすることを拒み、
今に至っても格付けを行うことは無いようだ。
造られたワインが、流通して消費者が選ぶという縦の流れで見た時、
この格付けに、賞賛を与えなければならないと思うのだ。
【→続く】
(*195)この格付けは、フランスワイン全体をランキングした訳でなく、
ボルドー地方の、メドック地区の優良な村から産するワインを主体に
行われたもの(オー・ブリオンは例外)。ただ、一部地区にせよ、
国家レベルでワインのシャトーの上下を規定するという差別的な面、
実情のクオリティと微妙に違うという不合理な面も確かにあった。
が、現在では多くの人が欠点をも認識し、相応に使っているように思う。