ワインの世界には、セオリーが多くある。
それに則って行動することが身に染みついている。
ちょっとワインを勉強した人なら、
赤と白があればどちらから飲む?
と言われれば、白が甘口でない限り、白から飲むのは当然だ。
ワインの世界のイロハのイである。
しかし、レジメを渡したフーバーさんと輸入業者、
何かを相談している…と思ったら、話しかけてきた。
「飲む順番なんですが」
「はい。このレジメの順で…」
「あの…特にシャルドネのレゼルヴが力強いので、
白を赤の後にしても良い…ってフーバーさんが仰ってるんですが…」
え!
赤、しかもマルターディンガー・ビーネンベルク レゼルベ
の後に白を飲む?
このワインはピノノワールでも、間違いなくフルボディに属する。
このワインの後に、白を飲む事など、ちょっと考えにくい。
なのになぜ?…そんな事を言うのだろうと思った。
白をないがしろにしても良いと考えるほど、
赤にしか思いがない…そんないい加減な造り手はないだけに、
不思議だった。
しかし、フーバーさんのワインを
いくつかのお料理と共に飲んでみて
その意図が少し見えて来たような気がする。
特に彼の赤について、存在感も味も凄いのだが、
それ以上の特徴を持っている。
それは「調和」と「懐の深さ」である。
誤解を恐れずに言えば、
美しい格子戸のようなものだ。
それだけでも美しく、存在感を主張する。
その向こうに桜花爛漫・花吹雪があっても、
寂寞とした風に弄ばれるススキが見えても良い。
流れる水面に反射する光の陰影に目を細めるのも一興、
降り続く雪の白ささえも美を引き立ててくれる。
匠の技で仕立てられた格子戸は、
その手前にあっても、どの風景とも調和をするだけでなく、
それらと共により美しい世界を構築する
懐の深さを持っているのである。
これに似た事がフーバーさんの赤ワインについては
言えるような気がする。
赤ワインの次に口にするのがお料理でなく白ワインだっとしても
打ち消したり、味わいをかき乱すような、
そんな状況にはならない…という事を一番知っているのが彼自身。
だからこそ、このセオリー破りの言葉が出たのかも知れなかった。