10-0125 ボルドー物語 [03-3]

ロートシルト家 その3 三男ネイサン

さて、

長男はドイツで金庫番、
次男はオーストリアのウィーン、
三男(ネイサン)を英国のロンドン、
四男をイタリア、
五男(ジェームズ)をフランスのパリに

‥とヨーロッパ各地へ配置された息子の中でも、
英国の三男・ネイサンは、最も厳しい逆風の中で動いたようだ。

伝えられるイメージは、冷血・辣腕の貿易商人。
金融もスゴ腕、さらに密貿易で大儲けして、
その資金でロンドンの金融会を動かした。

当然、表社会に出られるはずもなかっただろうが、
そのネイサンの死後、業務は長男のライオネルが継ぐ。
そして徐々に表の世界に出るようになり、
貴族社会に解け込む方向に動いていく。

そしてネイサンの三男=ナサニエルは、
イギリスを離れパリに住むようになり、
ロンドン・ロスチャイルド家の代表として振る舞う。

このナサニエルが1853年に買ったのが、
ブラーヌ・ムートン、つまりシャトー・ムートンなのである。

売り側は、セギュール家。
ポンパドールの話を思い出してみると…
シャトー・ラフィットの所有者と同じである事にお気付きだろう。
実際、ラフィットの南隣の地続きで、畑の由緒や来歴、地勢や土質など、
どちらも優劣はつけられない。

当然、ラフィットと同じ、第一級格付とされるべきだったのに、
シャトー・ムートンは、ナサニエルが買った2年後に行われた
1855年の格付けで、2級にされてしまう。

名目は、畑と建物の荒廃という事になっていたが、
実際は、ロスチャイルド家のユダヤ国籍だったと言われる。
加えて、当時は、ナポレオン三世と同家が冷戦状態だった事も一因。

悔しさにバロンヌ・フィリップは言う。

「われ一位たり得ず。されど二位たることを潔しとせず。われムートンなり」

この言葉が本当…と誰もに認めさせる迄の努力が、
1855年の格付けの権威を高めてしまう結果となる、
というのも皮肉に思えてしかたがない。

[To Be Continued…]

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