10-0131 来たよ今月も!シェフのお料理!

2000 シャトー・レ・ブリュエル
プルミエール・コート・ド・ブライ

Chateau Les Bruelles
Premieres Cotes de Blaye A.C

2月は短いから?
1月31日の昼過ぎ、ビストロ=フテューラ・フルールのシェフが
いつものようにお料理を持って現れた。
今月は、
六白黒豚のコンフィ ゴボウとレンズ豆のラグー添え
である。

100202_1豚の脂は調理法によって綺麗に落ち、
旨味だけが肉の中に残されているよう…。
これは脂っこくなく非常に食べ易い。
ソースは、ゴボウとレンズ豆の煮込み。
鉄っぽさとゴボウ独特の芳香、そして
微妙なハーブの香と落ち着いた味わいが、
お料理の本体を際立たせる。

脂を少なくして、表面がカリッと香ばしい豚肉…、鉄っぽさ…、
ハーブ…と思いを巡らす。

懸命に考える。
2000種を越えた在庫品の中で
最も適するワインは何か…
要素を集め、イメージを構築。適合するワインを検索。
お料理の味と、ワインの記憶データを、想像の中で調和させる。
どっぷりとヴァーチャル・リアリティ…
頭の中にシーンが浮かび、ダメ出しを繰り返していく。

食べた人の柔らかな笑顔を想像して、気合いを入れる。
こんな、幸せな苦しみを毎月繰り返させて貰えるとは、
ワイン屋冥利に尽きる。

今回、ピックアップしたのは、このワイン。

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メルローの鉄っぽさ、少しだけ青さを含んだハーブの香、
ミディアムより気持ちフルに寄ったボディが、
10年の熟成によってより優しくなり、
豚肉コンフィとの微妙な調和が展開される。

本来なら、プルミエ・コート・ド・ブライという地味な地区で
適当に消費されて終わってしまうボルドー・ワイン。

しかし、その粘土質土壌からの鉄分、微妙なハーブ香、
そしてキメの細やかなタンニンと、味わいの構成が織りなしていく、
柔らかく角を落とした風味は、
赤ワインとの調和が難しい豚肉とも巧みなマリアージュ。

机上の空論でなく、目の前にお料理があり、
実際に調和させている伴侶だからこそ、美味しさを提供できる。

流れは留まると淀む。絶え間ない努力を重ねてこそ、
清く美しい、見る人を楽しませる流れとなり得る。
だから研鑽を重ねる。流れ続けるその先には、
食べる人の笑顔が待っている…
そう信じている者二人のタッグは、
きっと確かなマリアージュの領域に到達できるだろう…
と信じている。

今月も上出来、ぜひお楽しみあれ。

10-0125 ボルドー物語 [05-1]

シャトー・マルゴー その1
ラフィット、ヴェルサイユを席巻

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さて、ムートンに沿って現代まで辿って来たが、再び
ルイ15世の君臨するフランス王宮へ視点を戻したい。

策略を巡らし、リシリューの持ってきたラフィットを使って、
コンティ公のブルゴーニュ・ワインをベルサイユから
追い出すことに成功したポンパドール夫人。

が、ルイ15世以上にラフィットに夢中になってしまった。
いや、もうほとんど狂ったと言って良いほど。

ルビーがそのまま酒躯になったような魅惑的な色、
いつまでも残る熟れた香に魅了され続けた。かくして、
ポンパドールの催す晩餐会ではラフィットしか飲まれなくなった。

それまで幅をきかせていた、ブルゴーニュ・ワインは、
彼女の食卓からも、ナイト・テーブルからも姿を消してしまった。
策略や意地などでなく、ただただラフィットの味に惹きつけられたのだ。

ポンパドールに倣ってどうか、ラフィットを飲み、入手する事が、
フランスの貴族としての新しいステータスとなった。
そして、ヴェルサイユに集う貴族が皆、しばらくは
ラフィットしか飲まなくなる現象が生じた。

口紅もボルドー・カラー、ドレスもボルドー色が流行となり、
宮殿は赤い色に埋め尽くされたのである。

[To Be Continued…]

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10-0125 ボルドー物語 [04-4]

シャトー・ムートン・ロートシルト その4
されどムートンは変わらず。

P1010002sムートンにとって、既に敵は周囲ではなく、
自分自身に他ならなかったのだろう。
誰もが1級の実力以上…と認めざるを得ないこのシャトーを、
第1級に格付けし直すことこそ、本当にワインを愛するフランス人の
使命だったのかも知れない。

そして1973年6月2日、時の農業大臣は、省令にサインした。
その男の名前はジャック・シラク、言うに及ばず後の大統領だ。

1855年のメドック格付けから、実に118年、
壮絶な戦いに勝利したバロンヌ・フィリップは宣言する。

「われ一位たり。かつて二位なりき。されどムートンは変わらず」 …と。

本当は1級だったムートンを2級と評価した方が間違っていた。
その証拠にムートンは変わらないのに、格付を1級に直したではないか…
という意味だろうが、1855年に発した言葉と比較してみると、
わずかに数句の違いしかない。

その数句の違いを口にする為に、
そして、格付である「第2級」を「第1級」にするためだけに、
118年の歳月と、国家予算数個?分と、
最新テクノロジーと、天才的ひらめき、何よりも
絶やさず情熱の炎を注ぎ込んだのだ。

歴史教科書にこそ載らないこのムートンの歩みこそは、
ワイン好きならば心に刻まなければならない、
「歴史的史実」と言って良いだろう。

[To Be Continued…]

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10-0125 ボルドー物語 [04-3]

シャトー・ムートン・ロートシルト その3
アートとの融合

ムートンのオーナー=バロンヌ・フィリップは、
シャトー元詰めで品質を保証すると共に
1924年に、ワインの衣装とも言うべきラベルを、
その味わいにふさわしい芸術で飾る事を発案する。

100317_1第1号の依頼を受けたのは、
キュービズムのグラフィック・ディザイナー=カルリュ。

以来、ムートンのラベルをデザインすることは、
『世界のトップ・アーチスト』というお墨付き(*201)
を得ることになる。

ワインの世界で一級になれなかった者が、
世界のアーチストに一級の格付けを与える…とはなんたる皮肉。
いや、もしかしたら、これこそが、バロンヌ・フィリップの、
ムートンの不当評価に対する復讐だったのかも知れない。

さらに彼は、秘め事だらけだったワイン醸造を、
よりオープンで、陽の当たる場所へと導く。
誰も入れなかったシャトーの奥まで見学者を受け入れた。
同時に、芸術との融合をより進め、敷地内に美術館を併設、
ラベルに使った絵を展示する。

これに習うように、ボルドーの一流シャトー達も
次々と見学者を受け入れるようになった。

努力を重ね、守りに入らず、アグレッシブに進歩、
トップ達を凌駕、更なる頂を目指す。
その姿こそが、ムートンを最も魅力的に感じさせる部分のひとつ、
と言えるだろう。

[To Be Continued..]
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(*201)傑作なのは、このムートンのお墨付き依頼を
断った画家が居たということ。1969年にはミロ、
1970年には シャガールが描いているというのに…。
ただ知らなかっただけだったが、断ったことで世界中に
その名が鳴り響くとになった。 それは、なんと日本人
堂本尚郎画伯。 周囲に諭され引き受け直した。日本での
未年=1979年に使われているのはムートンの粋な計らい。
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10-0125 ボルドー物語 [04-2]

シャトー・ムートン・ロートシルト その2
求められるのは論理や理屈でなく…

ムートンのオーナー=バロンヌ・フィリップは、
誰が考えても完璧なシャトー・ムートンという珠の、
どこを直し、どこを磨く?…そんな見当さえつかない
品質向上の努力を続けることになる。

19世紀以降、最高がゆえに誰も手をつけなかった
不変のワイン畑の見直しが始まった。
水捌け、葡萄樹の選別、地質の改善さえ断行。
論理や理屈ではなく、より良い結果をもたらす
天才的な閃きと、火のような情熱が求められた。

彼の情熱と努力は、畑や葡萄造りに止まらず、
ワインの製造・流通システムにまで及ぶ。
それまでは、ラフィットやオーブリオンなどの1級でさえ、
出来上がったワインを樽に詰め、
市内の瓶詰め専門業者へ運び、瓶詰めして貰っていた。

わずかでも樽に入ったワインに振動を与えてはダメだと判断し、
慣行を打破、醸造所内での瓶詰めを始めた。
つまりシャトー元詰めにする、という(今では当然の)ことを思い付き、
行ったのは、バロンヌ・フィリップだ。

数年のうちに、
「シャトー元詰めの品質レベルが極めて高い」
と認められると、他の一級である、
ラトゥール、ラフィット、マルゴー、オーブリオンも
後に続いたのである。

つまりは、この時点で既に、他の1級から頭一つ抜け出た品質を
達成できたと言えるだろう。
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[To Be Continued…]
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(*200)「伝統」という言葉で武装し、極めて保守的なのが
フランスのワイン業界。元詰の断行もムートンでなければ、
まず行えなかっただろう。他のシャトーが提唱しても
瓶詰業者達の圧力で潰れたに違いない。

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10-0125ボルドー物語 [04-1]

シャトー・ムートン・ロートシルト その1
1級を、常に越えるワインを…

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どんな理由があるにせよ、1855年の格付けで、
2級という屈辱にまみれたシャトー・ムートン。
悔しさにオーナーであるバロンヌ・フィリップはこう言う。

「われ一位たり得ず。
されど二位たることを潔しとせず。
われムートンなり」     …と。

一級だと認められなれなかった。だけど二級なんかじゃぁない。私はムートンだ!

実力も格式もあった。それを1級と評価しないのは、
客観的に見ても評価する側が間違っていたのだ。
事実、格付けを行ったフランス側が心中穏やかではなかったはず。

フランスの財産であり、象徴とも言うべき最高のシャトーを、
ユダヤ人(しかもドイツからイギリスに、そしてフランスに流れて来た)に
金で買い取られた(*198)のだから。

英国ロスチャイルド家が、格付けの2年前にシャトー・ムートンを
買ったのが、そもそもの失敗だった。
セギュール伯爵家が所有したままなら、1855年の格付けで、
きっと1級を与えられたに違いない。

それ以降に買えば、間違いなく1級をゲットできただろうに。
少々金額が高かろうが、それは問題にならない。
なぜなら、シャトー・ムートンが1級になる迄に注ぎ込み続けた
金額の累積は、下手な国の国家予算を遙かに凌いでいるから。

2級に格付けされる前、そして後でも、英国系ロスチャイルド家は、
いろんな手を使って変えようとしたようだ。
金・女・脅し‥考え得るすべての手法はすべて使ったはずだが、
なかなか思い通りにコトは進まなかった。(*199)

バロンヌ・フィリップの悔しさは、容易に察せられる。
1級に格付けされた他のシャトーに勝るとも劣らない
実力・内容を確実に持っている我がムートン…
それなのに2級と評価されてしまったのだから。

彼は、誓う。
ムートンが常に1級と同じワインを作り続けるしかない。
いや、それで1級と認められなかったのだから、
他の1級を、常に越えるワインを生産し続けるしかない。
格付けを行った、プライドだけが高い人間たちを、
品質で屈服させるしかない‥と。

ここから始まった、ロートシルト家、
そしてバロンヌ・フィリップの不断の努力・資金投入が、
1855年の格付けの権威を高めることになるのは
皮肉にも、確かな事だ。

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[To Be Continued…]
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(*198)サントリーが、3級のシャトー・ラグランジュを買収した時にも
「黄色い猿にフランスの文化を渡すな!」という声が上がった。
その国の心とも言える存在なので、仕方のない事かも知れない。
(*199)英国系ロスチャイルド家は、裏舞台を得意と
していたのは前にも申し上げた通り。
もしかしたらスパイ映画さながらの手法が、多く用いられたかも…?

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10-0125 ボルドー物語 [03-3]

ロートシルト家 その3 三男ネイサン

さて、

長男はドイツで金庫番、
次男はオーストリアのウィーン、
三男(ネイサン)を英国のロンドン、
四男をイタリア、
五男(ジェームズ)をフランスのパリに

‥とヨーロッパ各地へ配置された息子の中でも、
英国の三男・ネイサンは、最も厳しい逆風の中で動いたようだ。

伝えられるイメージは、冷血・辣腕の貿易商人。
金融もスゴ腕、さらに密貿易で大儲けして、
その資金でロンドンの金融会を動かした。

当然、表社会に出られるはずもなかっただろうが、
そのネイサンの死後、業務は長男のライオネルが継ぐ。
そして徐々に表の世界に出るようになり、
貴族社会に解け込む方向に動いていく。

そしてネイサンの三男=ナサニエルは、
イギリスを離れパリに住むようになり、
ロンドン・ロスチャイルド家の代表として振る舞う。

このナサニエルが1853年に買ったのが、
ブラーヌ・ムートン、つまりシャトー・ムートンなのである。

売り側は、セギュール家。
ポンパドールの話を思い出してみると…
シャトー・ラフィットの所有者と同じである事にお気付きだろう。
実際、ラフィットの南隣の地続きで、畑の由緒や来歴、地勢や土質など、
どちらも優劣はつけられない。

当然、ラフィットと同じ、第一級格付とされるべきだったのに、
シャトー・ムートンは、ナサニエルが買った2年後に行われた
1855年の格付けで、2級にされてしまう。

名目は、畑と建物の荒廃という事になっていたが、
実際は、ロスチャイルド家のユダヤ国籍だったと言われる。
加えて、当時は、ナポレオン三世と同家が冷戦状態だった事も一因。

悔しさにバロンヌ・フィリップは言う。

「われ一位たり得ず。されど二位たることを潔しとせず。われムートンなり」

この言葉が本当…と誰もに認めさせる迄の努力が、
1855年の格付けの権威を高めてしまう結果となる、
というのも皮肉に思えてしかたがない。

[To Be Continued…]

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10-0124ボルドー物語 [03-2]

ロートシルト家 その2 五男ジェームス

ラフィットとムートンの名前の後ろに共通して付随する、
「ロートシルト」家。
その二つの本流を求め、ロートシルト家のルーツを紐解くと、
ドイツにたどり着く。

ロートシルトとはドイツ語で、『赤い楯』という意味。
その楯が紋章であるユダヤ系の一族。

この財閥の創起者マイヤーは、野望の塊のような男と伝えられている。
彼は古銭の売買でコネをつけてウィルヘルム公にお目通り、
巧みに両替商の実績を重ね、着々と財を蓄える。
その上、国が振り出した手形の割引で、国家の金融業務にも参入。

以後、公や貴族への融資、外国に対する貸し付けや投資回収、
国際取引きの決済を通じて国家財政への関与を深め、
蓄財を増やしていく。

デンマーク財政の破綻、ナポレオンのプロシア侵入のどさくさにも、
ウィルヘルム公の資産管財人になる‥とうまく立ち回って、
巨大な利益を手にする。

ここで国際金融の旨味に着目したマイヤーは、
5人の息子をヨーロッパの主要都市に配し、
さらに大きな利権を求めていく(*197)。

長男はドイツ、自らの傍らに置き金庫番、
次男はオーストリアのウィーン、
三男(ネイサン)を英国のロンドン、
四男をイタリア、
五男(ジェームズ)をフランスのパリに
‥と鉄壁の配置。

そして彼ら次世代は、一族の結束を守りながら、
独自の道も歩み始めていく。

五男のジェームズは、花の都パリにふさわしい伊達男。
彼は接待外交を行い、政府要人と結び付き、国家財政に食い込む。
フェリエール宮殿を買い取り、ヴェルサイユに次ぐ最高の美邸にし、
毎夜繰り広げる宴は、当時のヨーロッパ文化の粋を極めた。

ここでのタレーラン、メッテルニッヒ、ナポレオン三世の交流は、
ヨーロッパ政治の裏面史。
文化人のサロンにもなっており、
バルザック、ハイネ、アングル、ロッシーニ、ドラクロワなどが集った。

饗宴も贅を尽くし、料理を受け持つのは
当時最高の料理人と言われたカレーム。
となると、ワインも最高でなければならない。
賓客をもてなす最高のワインを‥とジェームズが求めたのが、
シャトー・ラフィット。
当然、シャトー丸々の購入を目指した。

激しい買収合戦は、最後は財力がモノを言い、
ジェームズは勝利を収めたのが1866年のこと。
つまり彼は、1855年格付の後に買収したのである。
(この点は覚えておかなければならない)

[To Be Continued…]

(*197)シャトー・ラフィットやシャトー・ムートンには、
5本の矢がシンボライズされたマークが印されている。
これはマイヤーの5人の子の結束を意味するもので、
毛利元就の3本の矢よりも強い?印象を受けるのは、
多分、私だけではないだろう。

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10_0123ボルドー物語 [03-1]

ロートシルト家 その1 タペストリーの裏側を

1855年格付けを軸にした、ボルドーワインへのアプローチは、
ファンならではの醍醐味。

前回、リシリューが復権を願い、ポンパドールがリベンジを果たした…
という側面からシャトー・ラフィット・ロートシルト。
その所在地はボルドー地方、メドック地区、ポイヤック村。
ポンパドールが華やかな宮中を闊歩していた頃は、
セギュール伯爵家の所有だった。
彼は、このシャトー・ラフィットだけでなく、隣の、
現在はシャトー・ムートン・ロートシルトとなっている部分も所有していた。

つまり、現在のシャトー・ラフィット・ロートシルトと、
シャトー・ムートン・ロートシルトは、地続きなだけでなく、
元は同じ人物の所有畑だったのだ。
多分、微小気候の差はかなり少ない‥と考えても矛盾はないだろう。
そしてこの、ラフィットとムートンが、縦糸と横糸のように織りなす
美しいタペストリーには、表と裏がある。

前回の、ポンパドール、リシリュー、コンティ公‥という、
歴史の教科書に登場するような人達の話が表側。
そして、これから見ていこうとする、教科書には余り綴られない人達が
裏側と言って良いだろう。

それは、ラフィットとムートンの名前の後ろに共通して付随する、
「ロートシルト」家。
セギュール伯爵の手を離れて以降、全く違う経営と造りを行う2つのシャトーに、
同じ名前がついているのは?
この謎を解く事こそ、1855年格付けのストーリーを知るのに
不可欠の要素となる。

[To Be Continued…]

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10-0123ボルドー物語 [02-2]

ポンパドールとリシリュー、そしてコンティ公

タッチの差で、最高の畑を手にできなかったポンパドール、
相手がコンティ公と知って復讐を誓わずには居られなかった。

そんな彼女に、ある男が「友情」という言葉を口にしながら接近し始める。
中央への返り咲きを目指し、ヴェルサイユ宮に度々やって来る、
リシリューその人である。

ポンパドールによって左遷された男…
恨みこそあれ、友情などあろうはずはない。
しかしリシリュー、有能な政治家だからこそ、
利用できるものは何でも利用しなければ、はい上がれないことを知っていた。

彼の精力絶倫は有名で、生涯3度も結婚している。
2度目の結婚でさえ60歳の時、しかも相手は25歳の貴族令嬢。
3度目に至っては84歳の時!

特にボルドーに左遷されて以来、とみに若返ったと自他共に認めている。
これは、ずっと飲んでいたブルゴーニュ・ワインから
ボルドー・ワインに鞍替えした為だと信じていた。

いや、若返りがどうあれ、ワインの美味しさは、
ブルゴーニュに勝ると判断していた。
この老獪な政治家は、ボルドー・ワインの赤の逸品が、
自身のヴェルサイユ復帰の道具として使える!と目論んでいたのである。

ここで本来なら自分を左遷させた悪の元凶であるポンパドールと利害が一致した。
ロマネ・コンティを逸したポンパドールとしては、
それに対抗できるワインを手に入れ、王の興味を惹かなければならない。
リシリューとしてもワインを献上しただけでは、
誰かが手柄を横取りする可能性がある。
王と同じ食卓に着き、王に勧め、
「このうまいワインは何だ!」
と唸らせなければならない。

かくしてポンパドールのセッティングで晩餐会が開かれ、
王・ルイ15世は、二人の思惑通り、そのワインを絶賛する。
何と言っても色が濃く、ボディが厚く、芳香の複雑さは
ブルゴーニュワインに慣れた口には、謎を秘めたようにさえ感じる。
飲みごたえも十分なこのワインを、今までなぜ自分が知らなかったのか、
と悔しくもあり、一度味わった以上、これを手にしなければ‥
と、早速リシュリーとポンパドールを通して、
「王様御用達のワイン」に決めてしまう。

かくして、事はこの二人の策略家の思い通りに運び、
ブルゴーニュ・ワインとコンティ公の影は、晩餐会では薄くなっていく。

このワインの名前こそは、シャトー・ラフィット。
1855年格付で、1級に格付けされた、最高の中の最高のクラレット(*196)。
息を飲むような美しさ、類い希なエレガンス、
謎めくほどに深い味わい、
精緻な要素が構成するボディは、インテリジェンスさえ感じさせる…
まさにポンパドールとイメージが重複するワイン、それが
シャトー・ラフィット・ロートシルト。

ポンパドール、コンテ公、リシリュー、そしてルイ15世が居なければ、
各々の欲が、目的が、思惑がなければ、シャトー・ラフィットは、
今の地位を得られなかったかも知れない。

[To Be Continued…]

(*196)英国人は、多くのワインに独自の呼称を与えた。
極上モノに限るが、ドイツのラインガウ地方のワインを“ホック”、
フランケン地方は“シュタインワイン”、ブルゴーニュ赤は“バーガンディ”、
そして自国領にもなった、馴染みあるボルドー赤を“クラレット”と呼ぶ。
かつて世界に向けての輸出能力は、英国が一番強かったので、
一部にその呼称が浸透している。

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